8話 タソガレワルツ03
少し先を歩く艦長が、やれやれ、という具合にため息をつく。やや歩調を早めて隣へ並ぶと、なのはは艦長の顔を見上げる。
「艦長、どうかされましたか?」
「やめてくれ、そんな話し方」
本当に嫌そうに顔を顰めるので、なのはは思わず苦笑した。
「じゃあ、クロノ君。その、フェイトちゃんは?」
あからさまに安堵の表情を浮かべると、クロノは先ほどのため息の理由を明かした。
「執務室がなかなか放さないんだよ、フェイトを。海の人間のくせに合流が一番遅いなんて、ちょっと考えられないと思わないか?」
なるほど、となのはは納得した。クロノのため息の意味。呆れ気味のクロノなんて、たくさん知っているはずなのに、一緒に仕事をするのが久しぶりのせいかちょっと懐かしいとすら感じる。
「執務室のトップエリートでしょう? やっぱり簡単には任務から離れることができないんじゃないかなあ」
「それは違う」
はっきりとクロノに否定されて、なのははきょとんとした。同時に少しだけムッときたのも事実。別にクロノの言い方がきつかったとか、そういうことではない。断定的に否定されたことが、何故だか少しだけ引っかかった。フェイトの近況に関しては……それは、義兄であるクロノの方が詳しいのかもしれないけれど。
「フェイトは室長のお気に入りなんだよ」
「お気に入り……」
クロノの回答は明後日の方向からやってきた。予期せぬ答えに、なのはは若干戸惑った。それはどういう意味なのだろうか、と。
「フェイトは九歳かそこらで執務室へ出入りしていただろう? あの頃すでにAAAの魔導師で、しかも使い魔持ち。年の割に大人びているところがあって、執務室ではその……」
「何、クロノ君」
クロノは一瞬、後方へ視線を投げた。もちろん、そんなフェイクに釣られるなのはではない。
「クロノ君?」
「いや、あれだ。執務室では人気があった」
「クロノ君、絶対に最初は違うこと言うつもりだったでしょ」
くるり顔をこちらに向けるとクロノは「違わない!」と強い口調で反論した。からかったつもりはなかったけれど、こういう時出会った頃の彼を思い起こす。昔から、クロノはムキになるところがあった。おまけに、艦長職にありながらバリアジャケット姿で歩いているものだから、なおさらなのはは隣を歩く青年に、まだ幼さの残る少年の姿を重ね合わせてしまう。
「……とはいえ、こうなることは大体予想はできていた」
「そうなの?」
「ああ、だから、ちゃんと手は打っておいた」
クロノは咳払いを一つすると、ようやく普段の冷静さを取り戻したようだった。
「手って?」
「賄賂だ」
クロノが真顔で答える。その賄賂の内容を聞くより早く、先に食堂へ集合していたヴィータから声がかかった。
「おせえぞ、なのは」
「ごめんね、ヴィータちゃん……ってこんなフランクな感じで、本当にいいの?」
振り返ってクロノに確認すると、頷き返されてしまう。
「ああ、まだ任務開始ってわけではないし、だいたい今ここに集まっているのは……だろう?」
クロノ言いたいことはよく分かる。久しぶりに顔を合わせる、気心知れたメンバーだ。そこに、カレラが加わっている。
「テスタロッサは?」
シグナムの質問にクロノが肩を竦める。
「ははっ、執務室長さんが、放さんのやろ」
「はやてちゃん、知ってるの?」
「何度かパーティーで会っとるよ」
はやてがひらひらと手招きするので、なのはは向かいの椅子に腰を下ろした。
「ブレビス提督はフェイトちゃんがお気に入りや。外せない主要なパーティーには、大抵フェイトちゃんを連れてくるよ」
「そうなんだ」
「若くて将来有望な執務官。その上見目麗しいときたら、誰もが釘付けや」
なのはは、ブレビスの隣で控えめに佇むフェイトを想像してみた。それはなのはの頭の中で容易くイメージ化された。決して出しゃばることはなく、けれど、問われればはっきりと意見を言うフェイト。確かに、話は弾むだろう。嫌な顔一つせず、微笑を浮かべてパーティーに参加する姿が思い浮かぶ。
「ちょお、なのはちゃん?」
「ふぇ?」
パーティーに参加する時は、執務官の制服なのか、はたまたドレスなのか……そんなことを考えていたなのはは、どうやらぼーっとしているように映ったらしい。
「『ふぇ?』やないよ。どないしたん?」
「ううん、別に」
フェイトのドレス姿は、きっととてもきれいなんだろう。けれど、口にはしない。なんとなく、口にできない。
「まあ、ええわ。ところで、左手大丈夫なんか?」
はやてが指さす先には袖口からわずかに見えるサポーター。
「目ざといなあ、はやてちゃん」
「うちには、なのはちゃんの主治医がおるからなあ」
「これはね、念のため。シャマル先生がまだ駄目って言うんだもん」
ジャケットの袖口を引っ張って、なのははサポーターを隠した。カレラにはあまり見せたくなかった。きっと彼女は気を遣うだろうから。実際問題として、痛みはなく動きに心配もない。なるべく負荷のかからない動きを心がけてはいるものの、何しろ利き手だ。心がけるだけで精一杯。恐らく、そんななのはの様子をシャマルは分かっているのだろう。想像の範囲と言い換えてもいい。とにかく、そういった理由でなのはのサポーターとその下のアルミの副子は未だ除去することが許可されていない。
「もう、一ヶ月は経っているのにな」
なのはが少々不満げに呟くと、目の前のはやては笑いをかみ殺したような表情になった。なのはの怪我は治癒が早かった。とにかく処置が迅速だったことが良かったのだろう。医務室へ運ばれるとすぐさま複数の医務官がフェイトを囲んで回復魔法を展開した。その隣で、なのははシャマルのクラールヴィントにお世話になったのだ。フェイトの移送先がクラナガンの医療センターへ決まる前に、なのはの左手は副子と包帯に覆われた。それは、救急処置ではなく、透視診断を含めた治療だった。シャマルの口から骨折だと聞かされたものの、程度は軽くひびが入っているだけだと分かった。骨は転位もなく、定期的に医療センターや医療局で回復魔法を利用すれば治癒も早いと教わり、その通りになのはは本局の医療局に通ったのだった。
「まあ、今回の作戦で問題なければ、シャマルもOK出すやろ」
「だといいけど……?」
なのはは、言いかけたまま振り返った。目の前のはやての視線が、なのはの後ろへ向けられていたからだ。食堂の入り口からざわめきと共にぞろぞろと武装局員たちが入ってくる。思わずはやてと目配せする。
「それなりに大規模な作戦だとは思っていたけど。三個小隊なんだって?」
「そうや。武装隊から二個。空隊からも一個。なかなか派手な救出作戦になりそうや」
「クロノ君、よくまあこんなに集められたね」
「さすがやね」
はやてが目の前で空間モニタを呼び起こす。今回の作戦のおさらいでもする気だろうか。なのはも、そのモニタへ視線を向けると、再び背後から感嘆にも似たざわめきが漏れ聞こえた。なのはが振り返ると、はやてが呟く。
「執務官殿の到着や」
はやての言う通り、フェイトが武装局員たちの間をすり抜けて、こちらへやって来るところだった。すぐに二人の姿を認めたのか、一直線になのはの元へやって来た。
「なのは、久しぶり」
「うん、久しぶりだね、フェイトちゃん」
なのはの隣に、フェイトが腰かけた。
「はやても元気だった?」
「元気やで。フェイトちゃんとは比べ物にならんくらい元気やった」
はやての言葉に何故かフェイトが苦笑をもらして、なのはは首を傾げる。
「二人は最近会ったの?」
「最近っていうか、演舞が終わってしばらくしてから、たまたま転送ポートで会ったんよ」
「そうなんだ」
フェイトが軽く頷いて、はやてへ手を伸ばした。空間モニタを引き寄せる。
「ああ、やっぱり往復で一週間くらいなんだね」
「そうみたいやね。最初に転移するとはいえ、距離はそんなに遠くない。こない近くで紛争なんて正直怖いわ」
「そうだね……」
「XV級の艦船が用意されたのだって、質と量で早期に収束させたい、ってところかな」
なのはたちが無言で頷き合っていると、艦内にアナウンスが流れた。どうやら、予定時刻に達したらしい。バラバラと立ち上がる音がそこここで聞こえた。分隊ごとに整列をして、なのはたちはあらためて艦長を迎えた。指揮官として作戦を説明するクロノは少年ではなく、もう立派な提督の顔をしていた。
第一二四観測指定世界の軌道上に達するまで、八時間あまりというところで、現地で警戒中だった巡航艦インテグラと合流した。インテグラへ燃料補給をするために数時間のドッキングが行われ、あとは第一二四観測指定世界への進入ルートを辿るだけとなる。なのはは、士官居住区を歩いていた。作戦開始まで時間が迫っているため、戦闘訓練はすでに終えて身体を休めるつもりだった。ドッキング中に五時間ほどの仮眠は優に取れるだろうと計算して、割り当てられた個室へと急ぐ。ゆったりとカーブした通路を進むと、フェイトの後ろ姿を見つけた。なのはの部屋の前に佇んでいる。
「フェイトちゃん?」
振り返った彼女の肩口で、金糸がさらりと揺れた。
「なのは」
「どうしたの」
駆け寄ると、フェイトの深紅の瞳が細められた。
「戦闘訓練してたんだって?」
「うん、そうだよ」
答えながら、なのはは居室のドアを開けフェイトを招いた。
「フェイトちゃんはどこにいたの?」
「士官公室にいたよ、カイエン二尉とはやてが一緒で、さっきまでお話してたんだ」
「そっか」
なのははドアを閉めると、備え付けのベッドへ腰を下ろした。士官居室は小さなデスクが一つとベッド、あとはクロゼットしかない。それでも二段ベッドを二つ入れた、四人部屋を通常使用している一般の武装局員と比べたら、プライバシーが守られた作りになっている。士官専用の公室だって、二十人以上が寛げるゆとりのあるスペースだ。フェイトは先ほどまでその士官公室で寛いでいたらしい。
「で、どうしたのかな?」
なのはは立ったままのフェイトを見上げて、隣に座るように手招いた。すると、フェイトは少し呆れたようなため息をついた。やんわりベッドのスプリングが軋む。
「戦闘訓練、砲撃じゃなくて、シグナムと手を合わせたんだって?」
「うん、そうだよ」
「そうだよ……じゃないよ、なのは。どうしてそういうことするの?」
「ふぇ? 何か問題あった?」
「利き手に怪我を負っているのに、どうして負荷がかかるクロスレンジの訓練なんかするの」
「ああ……」
フェイトが眉をひそめている理由を理解して、なのはは小さく声を上げた。
「もう、『ああ』って何?」
少しだけ怒っているようなフェイトの声音がくすぐったくて、なのはは自然と笑みをこぼした。
「ごめん、フェイトちゃん。まだ言ってなかったっけ? これね、もう治ってるんだ」
なのははベルトを抜くとジャケットを脱いでシャツを捲り、肘まで覆った左手のサポーターを示した。
「シャマル先生のいいつけで、まだ副子はしているんだけど、もう骨癒合してるんだって」
「そうなの?」
フェイトの眉が心配そうに下がる。
「うん、シャマル先生が言っていたんだから、間違いないよ。痛みもないし。ただ、『無茶しないようにつけておいて』って言われてて」
なのはがシャマルの言葉を思い返しながら口にすると、フェイトがくりんと顔をこちらへ向けた。
「どうして『無茶しないように』って言われてるのに、シグナムと訓練なの!?」
「えっ……砲撃戦は昨日カレラさんとやったし、調整ってことでクロスレンジもいいかな、って」
「何の調整? シグナムとの訓練で調整できると思うの?」
確かに、シグナムの場合、「訓練」や「調整」といった言葉は当てはまらないかもしれない。彼女はいつでも、「戦闘」なのだ。それを知っているせいか、フェイトが不服そうな表情をしている。そして、なのはは他意はなかったが、痛恨の失言を放ってしまった。
「だって、フェイトちゃんは訓練付き合ってくれないし」
「……」
フェイトがぴくりと身を引いて、なのはは直後に後悔の波に飲み込まれた。
「あ、いや、違うのフェイトちゃん……そういうつもりじゃ……」
じゃあ、どういうつもりだったのだろう。なのはは口にしてから自問自答した。
「……分かってるよ」
視線をクロゼットに向けたまま、フェイトが答えた。
「うん……」
なのははそのまま、ベッドに身を投げた。いたたまれない。しかし、フェイトは一向に振り返ってくれる気配がない。ぴんと伸ばされた背筋。黒い執務官の制服に、金色の長い髪が映える。ベッドに落ちた豊かな髪を指先ですくってみるが、やはりフェイトは振り返らなかった。
――フェイトちゃん。
そう呼ぶのは簡単だけど、その後の言葉が思いつかない。
ヴィヴィオのこと? 今は駄目。
執務官の仕事のこと? 白々しいかな。
演舞のこと――?
彼女だって、ブラックアウトダメージが大きかったはずだ。知らない間に退院して復帰していた。カレラから退院の話を聞いた時、動揺した自分にさらに動揺した。どうして連絡してくれなかったのだろうか、そんなことを思った。他人から聞くのではなくて、あの時一緒にいた、パートナーとして演舞場に立っていたなのはには、直接連絡して欲しかった。もっとも、ちゃんと一両日中にはメールが送られてきたけれど。退院がきっと急に決まって、メールしているほど余裕がなかったのだろう。そんなことは想像がつく。
「なのは……」
「えっ?」
思いもよらずフェイトから声がかかって、なのはは首だけを回した。半身をよじったフェイトが、右手をベッドについてなのはへ視線を落としている。
「ヴィヴィオ、元気?」
「……元気だよ。学校にも楽しそうに通っているし、最近は無限書庫に入り浸りだし」
「そっか」
フェイトに悟られないように息を深く吸い込む。
「ヴィヴィオ、本も大好きみたいだけど。多分ね……」
「多分?」
フェイトが首を傾げる。
「多分、本局へ出入りしていたら、フェイトちゃんに会えるかもしれない――そう考えているんだと思うよ」
照明を背負ったフェイトの表情が陰りを濃くする。わずかな間の後、フェイトの右手がベッドを滑った。そのままなのはの隣に横たわる。深紅の瞳は瞼の下に隠されていて、なのははじっくりと端正な顔立ちに見入った。
「……今のうちに通信入れておこうかな」
「フェイトちゃん、今ヴィヴィオ学校だから」
「そう、だよね……」
呟くフェイトの瞳は未だ隠されていて、そのすぐそばでなのはの左手は所在なさげにシーツの上へ放り出されていた。なのはは自分がどうしたいのか分からなくて、簡単に触れられる距離に戸惑った。やがて、ゆっくりとフェイトの瞼が開かれる。紅玉を見つめ返して、なのはは告げる。
「大丈夫だよ、今回の任務は本局から近いし。通信もメールも自由きくと思うから」
フェイトの唇が何か言いかけて、けれどそれは艦内に流れたアナウンスに遮られた。
「何?」
「……さあ、士官公室へ集まれ、って」
なのははフェイトと顔を見合わせて、ベッドから身体を起こした。フェイトがジャケットを羽織らせてくれたから、ベルトを通して立ち上がった。何か連絡事項があるから呼び出されるわけで。居室を後にすると、フェイトと二人、足早に公室へと向かった。士官公室は士官居住区の中央にある。すぐそばだ。フェイトの隣を歩きながら、なのははフェイトはどんなメールをヴィヴィオへ送るのだろうか、と考えた。
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